共に生きる。

今から20年近く前になると思うけれど偶然にこの本と出会って障害とは何かを考えさせられた。
どのようにしてこの本と出合ったのか、今ではもう思い出せないけれど本の中身の凄さは今でもハッキリと胸の中に残っている。
著作権と云うのがあるのかもしれないけれど、今日はその一つを書いてみる。
<身障はないけれど>
ローマ市内に カポダルコ・ローマの家 というのがある。
身障の人々が中心になって国の資金援助を受け、それぞれ働ける人は働きながら共同生活を営んで3年になるという。
一ヶ月も生活すれば分るからと、入所の規定のようなものはない。
身障の重い人も軽い人も皆何か出来る事がある筈だから、この家の秩序を乱さないかぎり皆受け入れる方針という。
身障のない人も共に生活していて・・・という話になったので質問してみた。
「身障者と健常者の境い目をあなた方はどのように考えておいでなのですか?是非教えて下さい」
数人の委員はその通訳を聞くと、なぜか顔を見合わせて笑い出した。
やがて、おごそかな顔を取り戻した車いすのマリオ氏が答えた。
「まことに当を得たご質問です。 実は先日、われわれを助けてくれるという一人の健常者がありました。 われわれは喜んで仲間に入ってもらいました。 しかし程なく、彼は、われわれ身障よりもはるかに大きい問題をかかえている人物だと分ったのです。 共同生活など、とても無理だったのです・・・・・。」
体に障害がある人を身障者というけれど、心障者という書き方をする人の方がはるかに大きい問題なのだとこの時初めて思ったのを覚えている。